父(会長)、凱旋。

一昨年脳梗塞で倒れて以来、右半身の麻痺と言語障害を患い24時間看護状態になっている父親(会長)が一年半ぶりに会社に”凱旋”した。

まだ寝たきりの状態でほぼ植物状態だった2か月間で転院を迫られ、それでも次の病院での的確かつ献身的な看護を異例の半年間受けさせていただき、驚異的な回復を見せた父親だったが、これ以上は難しいと再転院を迫られ、中々見合うところが見つからなかったが結局新規開業の介護施設へ入所。

しかし、早く出てほしい病院側の催促に慌てて決めてしまったこの介護施設の対応が悪く、また状態が悪くなってしまい、半年後に別の施設へ入所。スタッフの皆さんの献身的介護のおかげで、痩せこけた寝たきり状態からすっかり脱し、24時間介護と車いす状態は治らないものの体重も増え、見た目には健康そうに見えるまでになった。

今回は、契約の問題でまた新しいところに入所することになり、その引越しの日に新しい施設の方々の計らいで会社に立ち寄って下さった。

父凱旋

前日の朝礼でスタッフにはこのことは伝えておいたが、みんな楽しみにしていてくれたらしく、到着するや否や全員で温かく出迎えてくれた。「社長さん」と涙ぐみながら話しかけてくれたり、手を握ったり摩ったりと、見ているこちらも目頭が熱くなる。

そうか、昔から勤めてくださっているスタッフには父親は今でも「社長さん」なんだな。厳しくもあったが結構スタッフには優しく接していたからだろうか、父親への慈愛が感じられとても嬉しかった。後遺症の為、父親の反応はあまりなかったがきっとわかってくれたんじゃないか。そう思いたい。

我が家では家族全員が現役で働いているため、24時間目が離せない状態の父親の介護は難しく、施設にお願いするしか今のところ方法はない。意思の疎通が図れない父親と週末顔を合わせ一方的に話しかける、この生活ももうすぐ丸2年が経とうとしている。最近では顔を見せると「おう!」と発語があるようになったが、そののちはいつもの自分の世界へ。

いつか自分で歩きだし、私の名前を呼んでくれる日がくるのではないかと期待もしていた。でも最近は父親が気持ちよく過ごしてくれるなら何もこれ以上望まないようにしている。あきらめではない。父親自身が本能のままに生きている状態でいる限り、これ以上どうしようもないのだ。

今度の施設の責任者の方はよく知っている方で、この世界のスペシャリストだ。私は、ここを父親の終の棲家として全てを委ねようと思っている。父親の状態を常に観察し、その時々のベターなプランで根気強く介護してくれると信じているからだ。その中で、何か素晴らしい出来事が起こってくれたら、これ以上の事はない。

いつも看てあげられない呵責の念と闘いながらも、父親の現状と家族の状態を一番よい状態に在り続けるために、私も日々を生きていくつもりだ。

父親の興したこの会社を成長させ、未来永劫続く企業にしていくことが父親の望みであろうし、私にとっては父親への孝行になると信じて進んでいこう。

いっつも口喧嘩ばかりしていた。どうしてこうも気が合わないんだろう、などと考えたこともあった。根っからのワンマンタイプで、言い出したら聞かない。自分が一番!という個性が気に入らなかったのかとも思う。はっきり覚えていないが、倒れる日の朝も口喧嘩が会話の最後だった気がする。

でも、もう一度、もう一度でいいから
話がしたいな。