「2月5日 ベニヤ板の飛行機をつくった」 指導者の365日より
2月5日 ベニヤ板の飛行機をつくった
「木野君、事業はその気になれば不可能なことでも、指導者の一念が変われば、可能になるものだよ」。
幸之助は、戦前、軍の強い要請で、ベニヤ板の木製の飛行機をつくらされました。
昭和20年1月、1年あまりの期間で第1号機を造り、それから終戦までの7ヶ月間で、あと2機を生産、時速320キロで飛ばしました。
「家電の製品も、戦争の武器も、作るものには変わりない。その製品にどれだけ人間の美しい魂を入れることが出来るかが大切だ」
と、幸之助は考えていました。
~「松下幸之助に学ぶ 指導者の三六五日 木野親之著」より~
過去の歴史において、
人類の平和や利便の追求が生んだ発明が兵器などに発展開発された例は枚挙にいとまがない。
飛行機だって、かのライト兄弟がまさか戦争の道具に使われるとは思っていなかっただろう。
ものごとは全て表裏一体であるという原理原則からいけば、科学者やものづくりを行う事業家は、目指す目的と違う用途に使われてしまう可能性を考えながら本来の目的に向かわねばならない宿命を負っているのですね。
そう考えると、過去には公表を封印した崇高な人たちもいたのではないかと思えるのです。
でも、きっとその意思を受け継いだ後継者が表れて公表に至り、結果発展開発が進んでいるという現状が今の状態なのかな。
恩恵と弊害はいつの世も対なのでしょうか。