本日の修身教授録 一日一言 5月15日
5月15日 卑屈と功利打算
そもそも私達が、一つの徳目を真に徹底的に履み行わんがためには、結局根本において、人格の転換を必要とすると言えましょう。たとえば人が傲慢に振舞うということは、畢竟するに、その人が調子に乗っているということであり、したがってそれは、一見いかにもえらそうにしていながら、実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。つまり自分のそうした態度が、心ある人から見られて、いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。
同時にまた卑屈ということは、一面からは、その人間のずるさの証拠とも言えましょう。何となれば、人間は卑屈の裏には、必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。【207】
~「修身教授録 一日一言 森信三 著」より
人は中々変われない。
変わろうと努力しない限り。
一念発起して、変わろうと学び努力する。
そのうち、少々学んだくらいで人より偉くなったと勘違いし、傲慢な振る舞いが出るようになる。
これが「調子に乗っている」様。
信三翁の仰る、人のお目出たさとは、周りからの過大評価を真に受け、このことに気付かないで尊大になっていく愚かさ、である。
卑屈さもそう。
卑屈は、その場のストレスをやり過ごす逃避行動であり、向き合えない自分への言い訳。
リーダーたるもの、周りへの感謝と傾聴する素直さを持ち謙虚に自分を律して、高みを目指さねばいけませんね。
今日の一節は、心に警策で喝をいれられたように響きました。