本日の修身教授録 一日一言 6月23日
6月23日 凝り性と意地
凝り性というのと意地というのとでは、必ずしも同じものとは言えない。それというのも凝り性というのは、自分の勉強なりその他何でも、自分の仕事に打ち込むことであるのに対して、意地という方は、そこに対他的な意味が含まれているからです。【321】
~「修身教授録 一日一言 森信三 著」より
自分が楽しめているか否か。
自ら望んで取り組むことは、その過程までも楽しいと思えます。これは主に自分の快が優先している状態。
片や、やらねばならぬと感じてしまったら、これは周りの快も範疇に入る。これが意地。
これ、人生においては両方必要でしょう。
意地を通してやり通すことも、後に楽しめるようになれたら、それこそ人生の楽しみ方が一つ増えて、豊かな生活を送れるのではないでしょうか。
いろいろと学んでいくと、やらねば!と思うことが増え、取り組みの中で四苦八苦する場面に出くわしますが、それこそ意地でやり通していくと望む環境が現れて、その維持発展の取り組みが楽しく凝ったものになっていく。
まぁ、これが極意なのかな。